『ここから始める、障害持ちgreyの日常生活!!』
さて、今日は過去の経験としますか。
ASDやらアスペルガー症候群やらが発覚した頃とどうやって認めたのか話そうかな・・・。
現時点で外に出ている”見て”わかりやすいのは『聴覚過敏』かな。
grayが障害持ちであることがわかったのは小学校3年か4年の時で障害者手帳を取得したのは中学生の頃だった。
その当時のgrayは何で自分の感覚と他人の感覚が違うのかに戸惑ってた。
当時はとにかくいろんなモノが聞こえすぎてて具体的に言うと教室をイメージしてもらって『四隅の大型スピーカー(一つ一つかかっている音楽は別々)で好みではない音楽を聴かされているような感じで、イライラと混乱ばっかりだった。
特に嫌いだった音は、「椅子の引きずる音」「女子の悲鳴(キャーキャー)」「踏切の音」などの高音の音が嫌いだった。
それまでは、何も耳につけない状態でいたけど今は「ノイズキャンセラー」付きのイヤホンをして日々過ごしている。おかげさまで中々就職が決まらなかった。
発達障害であることを本格的に自覚したのが小3~4の頃その時期は鬱ってほぼほぼ記憶がないんだけど。
以前から「兄が発達障害だったからgrayも持っているんじゃないか」って疑われていたけどgrayは「grayはそこまでじゃないし」みたいな感じで拒否してたの
ところが小3~4年の頃の夏休みは暇で親の書籍を読みあさっていたところに発達障害とはなんぞや?みたいな入門書を発見してその付録についていたチェック表であまりにも当てはまりすぎていて「うん、これは行こう。母ちゃん診断受けるわ」って言って病院に連れて行ってもらいました。
その頃から、自分と障害との折り合いの戦いが始まったわけやけど、当時の自分は余裕もないし、自分がわからない状態だったからかなりやばかった(語彙の喪失)
「自分は何で生きてるんだろう」とか「なんで生きる価値のないgrayが生きてるの?」みたいな、自殺願望がひどくて、『死を神聖化』しちゃってた。
死が救いで、希望で、よりどころみたいな感じになってた・・・。(-_-)<マジヤバ
今となっては、「明るく人に迷惑のかけない自殺!!」<引用『文豪ストレイドックス』より太宰治>を掲げて、いるのでなんとか穏やかになった。
そんなこんなの思春期ってな感じでねじれにねじれて「人間不振」爆誕!!みたいな感じでいろいろんなモノになってみたり、考えたりばっかりしててほぼほぼ余裕のない日常が続いた。
感情のコントロールも下手だったから「何に対して怒っているのか」「なにが不快なのか」「言語化できない不快感」などがあって表現するすべも訴えることもできなくてずっと悶々としてることが多かった。
そんな中、良い高校に出会って地元を飛び出したことが好転の切っ掛けだったと思ってる。
地元は、田舎だったから、障害に対する支援や理解が乏しくて、担任からは「grayさんは、入学することはできても卒業は難しいですね」って言われてた。別に成績優秀じゃなかった<156/146>みたいな感じだった。
その原因は「数学的思考の欠如」による数学が因数分解で止っているから。
中学校は別室指導を行ってもらってなんとか基礎問題だけは解けるようになってるけど、応用も他もさっぱり。
そんな中、西の高校でええとこ見つけたとの朗報があってそこは
単位多部制高校
やったんやけど、ドンピシャで変な奴(普通がいない)しかいなくって<例:旧日本軍の制服で登校、キャバ嬢みたいな子>呼吸がしやすかったし、理解を求めやすかった。
普通の奴が浮くほど変な奴ばっかりで気の合う友達や理解のある先生との出会いもあり、一番楽しかった高校生活だった。